ディーン・ケイティン(
Dean Caten)
ダン・ケイティン(
Dan Caten)
1965年、カナダ生まれ。
イタリア人の父とイギリス人の母との間に生まれた双子の兄弟。パーソンズ・スクール・オブ・デザイン出身。トロントでデザイナーとして6年のキャリアを積んだ後、ニューヨーク生活を経て、1992年にミラノに渡りデザイナーやスタイリストをしながらファッションビジネスを学ぶ。その後、「D2」設立。
1994年、パリの展示会「SEHM」で初めて「D2」の名でコレクションを発表。
1996年、ミラノコレクションに初参加。
2003秋冬からはレディスラインも本格的にスタート。
2003年度にはGQの「Men of the Year Breakout Design Team」アワードを受賞。
2004年5月12日、東京・南青山に「
ディースクエアード」のフルラインが揃うショップ、
「ATTIC(アティック)」がオープン。 店名の「ATTIC(アティック)」とは、英語で“屋根裏”を意味する言葉。屋根裏を探検するように、ワクワクした気持ちで宝物探しをしてほしいという願いが込められている。
「ディーゼル(Diesel)社」がカーティン兄弟をバックアップしている。
セレブリティーが休日に着るような、普段着でありながらゴージャスないわゆる「セレブカジュアル」の代表的ブランド。「自分達が着たいものを作る」というスタイルのもと、イタリアの洗練された技術・細部へのこだわりとアメリカのウィットをミックスし、ガチッと決めすぎないクールさが人気。「着る人に、自分に自信を持ち生き生きと楽しく、かつ自然にクールであって欲しい」というデザイナーの精神を表現している。レニークラヴィッツ、マドンナ、ジャスティン・ティンバーレイク等、ヒップホップ界に至るまで、多数の超有名セレブが愛用。日本では木村拓哉、浜崎あゆみが愛用。デニムが得意アイテムの一つで、生地を色落ちさせたり、デストロイド加工した「クラッシュド・デニム」は日本でも人気を呼んだ。 ドルチェ&ガッバーナをアメリカナイズドしたようなブランド。
公式サイト
DSQUARED2
ジョルジオ・アルマーニ(
Giorgio Armani)
1934年7月11日イタリア、ピアチェンツァ生まれ。
医学を志し、兵役を経て、紳士服のデザイナーになるという、不思議な経歴。1957年から1964年までミラノの百貨店「ラ・リナシャンテ」のバイヤーを務める。1964年に、セルッティ社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーに就任。
1975年、セルジオ・ガレオッティと共に
ジョルジオ・アルマーニ社を設立。贅沢な素材と美しいシルエットに着心地の良さを追求し、絶妙なカッティング技術で一躍スターダムにのし上がる。
1979年、エレウノのデザイナーに就任。
1981年、セカンドライン「エンポリオ・アルマーニ」を発表。同年、「アルマーニ・ジーンズ」も発表。1982年、デザイナーとしてはクリスチャン・ディオール以来、「タイム」誌の表紙を飾る。80年代後半にソフトスーツを考案して大ブームを起こし、紳士服のパターンを活かした婦人服で、いわゆる「キャリアウーマン」をリード。1995年にはスキーウェアとゴルフウェアを発表し、ライセンスを拡大している。
ひとむかし前には「ジャケットの帝王」等と呼ばれて、モード界の最先端に位置。完璧主義者として有名で、それゆえ「ミラノキング」、「マエストロ・ディ・マエストロ」(巨匠中の巨匠)と呼ばれ、独自の荘厳なスタンスを展開する。「アメリカン・ジゴロ」等、映画衣装も多数手がける。
ミラノモードの「3G(スリージー)」として、故ジャンニ・ヴェルサーチ、ジャンフランコ・フェレと共に、80年代後半のミラノを引っ張った。
2005 S/S より、「
ARMANI PRIVE (アルマーニ・プリベ)」ラインでパリ オートクチュール・コレクションに参加。
関連書籍
Cary Grant: A Celebration of Style
Giorgio Armani... a Marrakech
Faces Of Sport
Giorgio Armani
Giorgio Armani (Guggenheim Museum Publications)
Giorgio Armani
Giorgio Armani 2002 Calendar (WALL CALENDAR)
関連DVD
アルマーニ
関連ブランド
ARMANI PRIVE
EMPORIO
ARMANIARMANI COLLEZIONI
ARMANI JEANS
ARMANI EXCHANGE
公式サイト
Giorgio ArmaniArmani Exchange
エミリオ・プッチ(
Emilio Pucci)
1914年イタリア、ナポリ生まれ。
フィレンツェの貴族の家に生まれ、ミラノ大学へ通った後、アメリカのジョージア州アセンズの大学で学ぶ。1937年、オレゴン州ポートランドのリード・カレッジに在籍し、社会学を学ぶ。1939年、イタリア帰国後フィレンツェの大学で学び、1941年、政治学で博士号を取得。大戦中にイタリア空軍でパイロットを務め、その後、政治家としてイタリア議会に10年間在籍。
1947年、高校時代オリンピックのスキーチームの選手だった彼は、自分でデザインしたスキーウェアを雑誌「ハーパース・バザー」に掲載し、人気を博す。以後、同誌から女性用の冬服を依頼され、ニューヨークで売り出される。その後も各国のセレブに上品なプリントが受け入れられ、「プリントの王子(Prince of Prints)」の異名を持ち、衣服やカーペット、アポロ15号使節団のロゴ等々まで手がけ、30年以上もの長きに渡って不動の地位を築く。
1990年、CFDA(The Council of Fashion Designers of America)より表彰される。1992年、エミリオが亡くなった後、娘のラウドミア・プッチ(Laudomia
PUCCI)がデザインを手がける。
1997年、ミラノの会社に経営権を譲渡。2000年、LVモエ・ヘネシーグループの傘下に入る。
2001-2001 A/Wより、ジュリオ・エスパーダがアーティスティック・ディレクターを務める。
2003 S/Sより、クリスチャン・ラクロワがアーティスティック・ディレクターを務める。ラウドミア・プッチはイメージ・ディレクターを務めている。
関連書籍
Emilio Pucci
Emilio Pucci
Emilio Pucci (Universe of Fashion)
Emilio Pucci
公式サイト
EMILIO PUCCI
ジル・サンダー(
Jil Sander)
1943年ドイツ、ハンブルグ生まれ。
クレフェルド・スクール・オブ・テキスタイル卒業後、テキスタイル・エンジニアの資格を取得。アメリカのカルフォルニア大学に2年間在籍後、ニューヨークで雑誌社に勤務し、「マッコールズ(McCall's)」、「コンスタンツ」などの女性誌のファッションジャーナリストを経て、1965年に帰国。1968年にハンブルクにブティックを開設。
1973年にパリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。
1980年にパリ撤退。
1985年よりミラノヘ活動の場を移し、1987年にミラノにデビュー。1997-1998 A/Wよりメンズラインを開始。
フランクフルトのアルマーニと称され、縫製技術の高さ、シンプル且つミニマルでシャープな感性が現代女性に受け入れられる。
1999年、プラダが
ジル・サンダーを買収。プラダグループの総帥であるパトリッツィオ・ベルテッリとの不仲を主たる理由に、2000-2001 A/Wを最後にデザイナーを辞任。既に引退を決意していたであろう 2000 S/Sのコレクションは、それまでのジルとは違い、華やかなデザインが多く出品され、「鉄の女」と呼ばれた彼女の抵抗を表しているようにも感じられたことで、好評を博した。
ジルの引退後、後任デザイナーを探すプラダがまず考えたのが、共にフェンディを買収したLVモエヘネシーへ協力を求めることであった。同社は、ヴィトンにマーク・ジェイコブスを起用したり、セリーヌにマイケル・コースを抜擢したり、ロエベにナルシソ・ロドリゲスを就任させたりとその道のプロだったからである。
そこでプラダは、
ジル・サンダー社を手放すかわりに、ルイ・ヴィトンが持っているフェンディの残り半分の株を求めた。つまり、デザイナー不在の
ジル・サンダー社は全てヴィトンのものになり、カール・ラガーフェルド付きのフェンディはプラダのものになる、ということ。しかし、当然のことながらこれが成立するはずもなく、ジル不在となった後のデザインはプラダのデザインチームが行った。そんな迷えるプラダも、2000年12月に新クリエイティブ・ディレクターとして短期間だがグッチのデザイン・ディレクターを務めたことがある。パリの有名なセレクトショップ「コレット」の元バイヤー。ミラン・ブクミロビッチをどうにか確保。その後、ブクミロビッチが全てのショーと広告キャンペーンを担当した。
2003年5月、
ジル・サンダーがデザイナーに復帰。2004 S/Sミラノ コレクションよりデザインを手がけている。
2004年11月、ジルのデザイナーが再び辞任。
2005年7月1日より、
ラフ・シモンズがメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティブ・ディレクターを務める。
公式サイト
JIL SANDER

ニール・バレット(Neil Barrett)
1965年、イギリス・デヴォン生まれ。
1986年、ロンドンのセント・マーティンズ美術大学で学位を取得。1989年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートで修士号を取得。
卒業発表を見たグッチにスカウトされ、89年から93年までグッチのメンズ・シニアデザイナーを担当。1994年からはプラダのメンズのディレクターに就任。
1998年、サムソナイト・アクティヴウェアのデザイナーに就任。
同年、ミラノで自身の会社、White srlを設立しニール・バレットととしてメンズコレクションを発表。
1998-1999 A/Wから自身の名を冠したメンズコレクションをスタート。
1999-2000 A/Wからレディースコレクションをスタート。
公式サイト
/www.neilbarrett.com